2022年9月12日午後 講師  NPO法人大阪ウオーク・トーク                  知の巨人たちが眠る天満東寺町を歩く

「天満東寺町」というのは、大坂の陣のあと、徳川家康の特命を密命を受けた松平忠明が、大坂復興事業のひとつとして、天満北縁に天満寺町を整備して 北の防衛線にしたのが始まりだそうです。


午後1時30分に蓮光寺の東側に集合。

成正寺から専念寺まで歩く予定だったが気温35℃程の暑さの中、山内先生の判断で若干短縮ウオークとなった。


成正寺:大阪市顕彰碑・中斎大塩平八郎墓所・

    大塩の乱に殉じた人々の碑、中斎大塩先生

    大塩之助君墓、大砲を撃ち込まれた朝岡家の墓

    未生流二代目:未生斎法眼広甫の墓        

    

大塩平八郎は寛政5年(1793年)1月22日に大阪に生まれ、与力として活躍した人物です。天保4年(1833年)頃から国内では天保の大飢饉が発生し、困窮者が続出。それに有効な手立てを講じない大阪奉行に立腹したのです。大塩平八郎は武装蜂起に訴えて奉行らを討ち、豪商を焼き討ちする以外に根本的な解決は望めないと考え、天保8年(1837年3月25日)に門人や民衆と大塩平八郎の乱を起こしたのです。乱は当日に鎮圧され、大塩平八郎は1ヶ月ほど潜伏を続けるものの、後に自決したのでした。


善導寺:石碑・山片蟠桃墓所

    世界的な町人学者:山片蟠桃の墓

    尺八宗悦流、三弦合奏創始者:近藤宗悦の墓

    大阪画壇:西山芳園・完瑛父子の墓

山片蟠桃は儒学の造詣が深く、江戸時代後期の世界的な町人経済学者。堂島の米仲買の升やに丁稚奉公に出て、当主・山形平右衛門に才を認められ13歳で懐徳堂に通い、24歳で山形家の養子に。本家の支配番頭となり破産寸前の升屋を立て直し、経営手腕を発揮し仙台藩の財政危機を救ったほか、全国の50もの藩と取引を持つ大名貸、両替商にまで成長させます。大阪経済界に重きをなす人に。名前の蟠桃は番頭をもじったものです。


龍海寺:大阪市顕彰碑・緒方洪庵墓所

    医者、適塾:洪庵緒方先生之碑

    洪庵先生夫人:億川氏墓

    緒方氏無縫塔

    緒方郁蔵先生墓

    蘭学者、思々斎塾:天游中先生墓

    中天游夫人:室 海上氏墓

    大村兵部大輔埋腿骨之地

緒方洪庵は江戸末期の蘭学者・医者・教育者。備中・足利藩出身。16歳で自立のため医師を志しますが、コレラの大流行になすすべもない漢方に限界を感じて、父の任地の大阪で蘭方医・中天游の「思思斎塾」に入門。天游のすすめで江戸へ行き医学・薬学を学び、次に長崎へ遊学しています。大阪へ戻り1838年蘭学塾「適々斎塾」を開き、その年に億川百記の長女・八重と結婚。その他・・・


成正寺から龍海寺まで一時間半程歩いて5~6個所お寺巡りしました。ちょっと暑くて大変でしたが、OAPタワービル前で解散となりました。大阪ウオーク・トークの皆さん有難う御座いました。無料シャトルバスでそれぞれ帰りました。