蔵のあるまち菅原町と中之島バラ園

2022年5月23日(月)午後


 天神橋筋商店街

 

1丁目から7丁目までに南北に約2.6キロ

、600店舗が軒が連なる「日本一長いアーケード商店街」です。              歴史は古く、平安時代にできた大阪天満宮の参道として栄えてきました。           長いだけではなく、この長い商店街のいたるところに、歴史があり、今に伝わる名所があります。

長い歴史に育てられた銘菓や伝統の味が食べられます。  

  



「女夫池」(みょうといけ)伝説と夫婦橋

 (めおとばし)  区天神橋4丁目

夫婦橋は、天満堀川が天神橋筋と交差するところに架けられていました。

天満堀川は、豊臣秀吉時代の慶長3年(1598)に掘削され、夫婦橋は、天保9年(1838)に架けられました。

そして、ここに「女夫池」がありました。

昔このあたりに若い夫婦が住んでいました。夫が旅に出かけ3年たっても帰ってきません。妻は悲しみ身を投げ果てました。この悲しい話を聞いた人々は、「女夫池」と呼んだということです。



 天満堀川

 

天満堀川は、豊臣時代の慶長3年(1598)に下流側の堂島川から1.1㎞ほど開削され、扇町公園付近で行き詰まりになっていました。

その後、天保9年(1838)に上流側が開削され大川と繋がりました。

夫婦橋は堀川の延伸によって架けられが、女夫池はこの時に埋め立てられました。

妙見堤には桜が植えられ、春は桜見客で賑わいましたが、現在は埋め立てられ道路となり、上には高速道路が通っています。



 御迎え人形

江戸時代中期の大坂に元禄文化が華開いたころ、天神祭に「御迎え人形」が登場しました。

周辺の町々が作った2m余りの大型の風流人形です。

船渡御の迎え船に飾られましたが、浄瑠璃や歌舞伎などに登場するキャラクターから採られています。

幕末には50体を超えた人形も、現在では17体を残すだけになりました。



 天満天神繫昌亭 

 北区天神橋2丁目1

 

平成18年(2006)9月15日オープン。

戦後61年ぶりに復活した落語専門の定席小屋。

敷地は大様天満宮より無償で提供され、建設費用2億四

千万円は個人や企業からの寄付によって建てられました。

令和元年7月1日リニューアルオープンしました



 大阪天満宮

 北区天神橋2丁目1

 

大阪天満宮の創紀は、平安時代中期です。

現在の社殿は、大塩平八郎の乱のあと、弘化2年(1845)に再建されました。

 社殿は入母屋造りの本殿・拝殿と切り妻造りの幣殿か

 らなる権限造りの複合の造りの社となっています。

・大将軍社

・登竜門

・十二支方位盤 直径164センチの大きな方位盤に

 は、各方位に十二支の動物が浮き彫りにされています

 が、西方の酉の位置だけは、通常の「鶏」でなく「鳳

 凰」になっています。

 



 天神橋碑(北詰)

 

天神橋は文禄3年(1594)架橋されました。

明治初期までは、木橋でしたが、明治18年(1885)の淀川大洪水で流失。

明治21年(1888)に鋼鉄のトラスト橋に架け替えられました。

昭和9年(1934)に全長210mの3連アーチ橋になりました。



 和田萬

 北区菅原町9番5

 

土蔵を改装した本格的なごま専門の店舗「萬次郎 蔵」

が平成22年(2010)11月にオープン。

大阪の中心部では珍しい、築210年の土蔵が、菅原町

によみがえりました。



 北村商店

 北区菅原町1番2

 

菅原町の西側を南北に流れる天満堀川は慶長3年(1598)に開削され、昭和43年まで流れていました。

北村商店はその天満堀川沿いに建つ蔵でした。

川に平行に妻を並べる形式は、大阪の浜蔵の典型で現在でも足駄造り、また雁木と呼ばれる階段状の構造物も残っています。



 難波橋

 北区西天満1丁目1

 

江戸時代には天神橋、天満橋とともに「浪華三大橋」と呼ばれました。

明治45年(1912)に現在の場所に架けられました。

橋の四隅の親柱の上には天岡均一作のライオンの石造りがあるため「ライオン橋」の愛称で市民に親われています。



 中之島バラ園

 北区中之島1

 

昭和56年(1981)の5月に開園。約30年後の2009年に全面改修されました。

中之島バラ園に咲く花は、約310種 約3700株あります。

当日もバラが満開で良い香りを漂わせていました。