2022年11月7日(月)午後1時30分~3時30分
天満橋~造幣局 ガイド4名 NPO法人 大阪ウォーク・トーク
コース 泉布観~旧桜の宮公会堂~新銀橋・銀橋~大塩平八郎関係史跡~造幣局正門~美幸橋跡~欽明門~ガス灯~創業時の正門・八角堂~創業当時の圧印機~造幣局博物館内見学~正門解散
〇旧桜の宮公会堂 正面玄関:重要文化財
玄関部分は1871(明治4年)に竣工し62年後に老朽化のため取り壊された「造幣寮・金銀貨幣鋳造所」の玄関を移設したもの、その後、聖徳館、桜の宮公会堂、図書館、ユースアートギャラリーなどに利用されていたが、2013(平成25)年より民間に貸与し、レストラン、結婚式になっています。
〇泉布観(せんぷかん)重要文化財
1870(明治 3)年に皇室や外国使節の応接所や宿泊所として建てられました。大阪最古の洋風建築で、装飾や照明器具等も外国製の逸品ぞろいです。
〇御幸橋(みゆきばし)跡
北門近くの入り江に吊り橋が架かっていました。1898(明治31)年の明治天皇行幸時に架けかえられ、御幸橋と名付けられました。
〇欽明門(きんめいもん)と鉄柵
1872(明治 5)年に明治天皇が造幣局を視察したときの門です。鉄柵は、大阪城内に動物園を造るため輸入したが動物園が中止になり、造幣局が貰い受け、工場のまわりに張り巡らしたものの一部です。
〇日本で一番古い西洋式のガス燈
1871(明治 4)年に泉布観の北側に石炭を使ったガス製造所が設置され、造幣局構内と付近の街路を照らす屋外照明用に65基、室内用に621基設置されました。日が暮れると多くの市民が見物に来ました。
〇創業当時の正門 門柱:重要文化財
1871(明治4)年の造幣寮創設当時の正門です。当時は船で運ばれてきたので、門は川の方向に向けてありました。門柱の模様は、大阪の「大」と「菊」を模ったものです。
〇硬貨圧印機 日本機械学会の「機械遺産」
創業当時に使われていた硬貨に模様を付ける機械です。
(1)フランス製(トネリエ社製)
1868(慶応4)年、五代友厚の尽力により、英国の香港造幣局の機械一式を6万両で購入した圧印機のうちの1台です。1871(明治4)年当初は金・銀貨幣の製造に、その後は銅貨幣の製造に使われていました。
(2)ドイツ製(ウールホルン社製)
1871~1873(明治4~6)年にかけてドイツから輸入した10台の圧印機のうちの1台で、金・銀貨幣の製造に使われていました。
<参考>
・当時の圧印機は1分間に40~50枚の貨幣に模様を付けることができ
ましたが、現在では1分間に750枚が可能です。
・当初、機械類は輸入していましたが、硫酸、ソーダ、石炭ガス、コ
ークスなどは造幣局が自前で製造していました。このことが、大
阪、関西、日本の工業の発展のに貢献したといわれています。
〇火力発電所の建設~現在の造幣博物館~
創業時は、工場の機械は蒸気で照明はガスでした。1908(明治41)
年に照明を電気に、動力を電化、1908年~5年にわたる大工事を行い貨幣製造能力が高まりました。1911(明治44)年に火力発電所が竣工しています。
〇造幣博物館 ~まず2階の映像シアターに~
造幣局構内に残る唯一の明治時代のレンガ造りの西洋風建築物です。
1969(昭和44)年に建物の保存を図り、保管していた貴重な貨幣などを一般公開し、造幣事業を紹介するため、当時の外観をそのままに改装し開館しました。
1階エントランスにある「大時計」は造幣局の工作方技師が1876(明治9)年に正面に取り付けてあり、局内に時刻を知らせていました。
展示してある創業当時の造幣寮全景
〇八角堂~衛兵(警備員)の詰所~ 重要文化財
ドアノブの高さは当時の日本人の体形に合わせて作られているそうです。
「コース」 奈良県庁玄関~県庁屋上花庭で昼食~史跡(頭塔)~志賀直哉旧居~新薬師寺~解散
史跡 頭塔
は土で築かれた。方形7段の塔です。
神護景雲元年(767)に東大寺の僧実忠が土塔を築いたとの記録があります。
頭塔には、第1・3・5・7の奇数段に各11基ずつ、総数44基の石仏が整然と配置されていたと考えられています。 現在、そのうち28基が確認されています。
現在では22基が重要文化財に指定されています。
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